二、修道の道のり
行医と四種の病気 (2of2) — 峨眉山・九華山と無着の心
診察時は多くのエネルギーを消耗します。最初は毎朝10人の患者を診ていて、午後には約8時間の坐禅でエネルギーを回復させなければなりませんでした。後に定力が増してからは、毎日2時間の坐禅で十分になりましたが、心のエネルギーへの消耗はかなり大きく、疲れて心臓が震えることもあり、大量の脱毛もありました。しかし修行の全過程そのものが自我を放棄して無私に奉献する過程です。広く善縁と功徳を積むために、私はこれらのことを気にしませんでした。最も心が痛んだのは、患者の誤解でした。病気ではないのに私を試したり面白半分で来診する患者も居て、坐診し始めた頃は毎日のようにそういうことがありました。私はなるべく全ての患者に丁寧に全身を検査しようと努め、しかも無料でした。慰めになったのは、そのような患者全員が満足して帰り、謝意を示してくれたことです。また、診察時に自分の病状を話したがらない患者がほぼ80%いました。脚が痛いのに一言も言わないので、内外・上下全部検査して、最後にやっと脚を調べることになります。多くの患者は私の診察方法が特殊だとそこだけに注目しますが、私はむしろ治療の方が重要だと思っています。師父から学んだ独特の中薬の配伍は、必ず私と縁のある患者に福音をもたらすものです。
実は患者の気持ちは理解できます。誰も責めたくはありませんが、とても疲れたとき医者をしたくないと思ってしまいます。するとその度に師父が慰め励ましてくれます。「患者が理解してくれない、信頼してくれないのを恐れてはいけない。それはお前自身の功徳がまだ円満でないからで、衆生の貪瞋癡慢疑はもともと重いものだ。お前は既に菩薩道を発心したのだから、全ての衆生を自分の肉親のように思うべきだ。彼らは病苦に折磨されている、お前は医術を知っているのだから座視していてはいけない。確かに行医を名目に人を騙す人もいて、患者は騙されるのを恐れている。お前は一切随縁して、お前と縁のある患者は自然とお前を信頼し、お前の治療で快復するだろう」。
行医の過程で、引き続き坐禅禅定の時間を取り、仏典も読みました。師父が薦めてくれた仏典は一冊だけで、『維摩詰所説経』でした。この期間中、坐禅の中で時に密宗の持咒と手印を用いて脈輪を開けるのを助けていました。禅定の中で修証の方法を思い浮かべて実践することもありました。師父はどの法門を学ぶかにはあまり関心を持たず、ただ「法門に良し悪しはない、見地が正しければいい」とだけ言っていました。禅定の中でまた女性の師父から「巴山聖母法門」を、元始天尊から上乗の女丹功も学びました。
師父から三度目の朝山の通知がありました。普賢菩薩の道場――峨眉山です。今回は弟が付き添ってくれました。家族は少し異議を唱えましたが、激しい反対はありませんでした。師父はこれが忍辱戒の功徳だと言いました。峨眉山には半月滞在し、沿道の寺院に泊まりながら、風景を楽しみつつ歩き、通りがかった寺院には入り、日が暮れると近くの寺院に泊まりました。峨眉山で最も印象に残ったのは、寺院の精進料理がとても美味しかったことと、景色が素晴らしかったことです。金頂で普賢菩薩に出会いました。彼女も遠方から帰ってきたばかりで、私を見ると白象の背から飛び降りました。妙齢の少女の姿で、カラフルな帯でたくさんの細いお下げを結っていました。とても温かく、笑顔も朗らかで、一緒にお茶を飲んで語り合い、別れ際に多くの経書と贈り物をくれました。
峨眉山から戻って間もなく、また師父から地蔵菩薩の道場――九華山への朝山の通知がありました。また寺院を宿にして、しかし九華山の頂上で不愉快な出来事がありました。その時、山頂の寺院に泊まりたくて、弟が客堂に掛単をお願いしに行きました。客堂の師父がその時なぜか怒っていて、怒った様子でお断りになりました。弟がもう一度お願いしようとすると、その師父はさらに怒り、弟を追い出そうと怒鳴りつけました。私は客堂の入り口に立っていてとても悲しく、出家者がこんな様子とは、慈悲や便宜はともかく、一般的な礼儀さえなかったと感じました。
山頂から下りて、頂上からさほど遠くない比較的辺鄙な寺院に泊まりました。夜、禅定の中で金頂に上がると、地蔵王菩薩が出てきました。男相で背が高く、相貌が荘厳で、手に錫杖を持ち、王者の風格があります。昼に起きた出来事を話して言いました。「あなたの弟子はどうしてこんなんですか?」菩薩は意に介さずに言いました。「どうってどうだ?私の弟子はこういうものだ。なぜ頂上に泊まることにこだわったのか?」その場のエネルギーが良くて、夜に坐禅したかったからと答えました。菩薩は言いました。「もしこのことに分別を起こさず、怒らなければ、お前はすでに頂上で一晩坐っていたことになる」。聞いた瞬間、夢から覚めたようになり、心の中で惚けた自分を責め続けました。いつから自分はこんなに相に執着するようになったのか。その後、禅定の中で地蔵菩薩に何度か出会いましたが、あの日のような厳しさはなく、話し方も素っ気なくも無礼でもなく、とても慈和でした。